今日は、『ワープする宇宙―5次元時空の謎を解く』という
とっても美人なハーバード大学物理学教授(リサ ランドール氏)が書いた本を
読んでみました。
(本屋で斜め読みですが・・・)
どうしてその本に興味を持ったのかというと、
その本のキャッチコピーになっている
「次元空間は、私たちから遠く離れているわけではなく、
すぐそばに存在するのかもしれない。
ただ、上手く隠されているので、私たちの目には見えないだけだ」
という説明がちょっと気になったので…。
5次元時空について
今私たちが居るこの世界では
時間は過去から未来に一方通行に進んでるように認識していますが、
次の次元になれば時間軸の往来はこの空間と同じように可能になるはず——
つまり、
過去も未来も、この現在と同じように「今」として
感じることができるようになると思うのですが、
そうなると、どの時間も「今」なので
今の次元から見たら「時間が止まる」ということになるわけで、
「時間が止まる」ということは
空間を瞬間移動できるということなので、
空間は最早空間として存在しないということになります。
ということは
「遠く」とか「近く」というようなものもないので
『次元空間はすぐそばに存在する』というのは
5次元の視点から見たら、ちょっと違う感じがします。
元々3次元の視点で5次元を説明するというのは無理なことなのですが、
だからといって5次元的な視点で5次元を説明してしまうと
トンデモ科学やオカルト系になってしまいかねないので
頭の中では5次元をイメージできていても
それをわざわざ3次元的な視点から説明しなきゃいけないというのが、
理論物理学の難しさなのかもしれません(・・;)
今の次元での『時間』が次の次元での『空間』
私は理論物理学なんていう難しい学問には興味がないけど
異次元のことを考えるのは大好きです。
私が思い描いている異次元は、
あくまでも持論ですが…
今の次元で『時間』と認識されている物が次の次元での『空間』である
という法則を持っているんじゃないかな…思っています。
つまりこの3次元で『時間』と認識されているもの(つまり不可逆的変化)が
4次元では『空間』(つまり自分の意志で移動できるもの)と認識され、
4次元で『時間』と認識されている不可逆的変化が
5次元での『空間』と認識されるのです。
3次元より下の次元も同様で、
この3次元で『空間』だと認識しているもの(3次元空間)が
2次元では『時間』として認識されており、
2次元で『空間』だと認識されているもの(2次元空間)が
1次元では『時間』だと認識されているのではないかと私は思うのです。
つまり、
ひとつ上の次元の『空間』の輪切りが
この次元での一瞬一瞬の『時間』というわけです。
そう考えると、
次元が上昇しても結局のところは何も変わらず、
そこには『空間』があり『時間』があるわけです。
ただ、それらの空間の情報量が
次元が上がるにつれてどんどん増えていくというだけのことなのです。
たとえば、パソコンに
2Dのアニメーションを保存するよりも
3Dのアニメーションを保存する方がずっとハードディスクの容量を取ります。
それは2Dのアニメーションより3Dのアニメーションのほうが
情報量が多いからです。
それと同じように、次元が上がれば情報量は当然増えますが、
それ以外は何の変わりもないと思うのです。
次元が上昇して時の流れから解放され、
時間を自由に行き来できるようになった、と思った瞬間、
その時間は単なる空間と化し、
新たに別次元の方向に時間軸ができて、
結局のところ、時間の流れから解放されることは永遠にないんじゃないかな…と思います。
どこまでいっても諸行無常なんですね。
しかし、諸行無常だと思っていたこの一瞬一瞬、
つまり時間の一コマ一コマも、
次元が1つ上がったところから見ればすべてが今この瞬間に存在しているわけです。
だから、この3次元では『1年前』とか『10年後』と呼んでいるものが
1つ上の次元では今この瞬間に存在している空間の中に点在している
『1年前』という場所だったり『10年後』という場所だったりするのだと思います。
そうなると
『1年前』という場所にお出かけして自分の過去を変えちゃうことができるし、
『10年後』という場所にお出かけして未来を変えちゃうことも可能です。
そうすることで次々と新たなストーリーができて
3次元的なパラレルワールドが生み出されます。
その無限につくられていく3次元的パラレルワールドが
4次元における時間の一コマ一コマになるわけです。
てことは、
5次元ではその3次元的パラレルワールドのすべてが空間となるはずです。
そうなったら、そのときの時間軸は何になるのでしょう?
すべてのパラレルワールドには自分のあらゆるすべての可能性が含まれているので
それが変化していくということは自分以外のものになるということです。
なので、
自分以外のものに変化していくことが『時間』になるのではないでしょうか。
つまり私が山田さんになったり小林さんになったり田中さんになったり、
というように
自分の視点(意識)が自分以外の人の視点(意識)に変わっていくことを
時間と認識するわけです。
となると、
6次元では、あらゆる人の意識が空間となって、
空間移動するような手軽さで自分以外の人の人生のすべてを体験できちゃうわけですね。
それってものすごい情報量なので、
かなりの情報処理能力が必要になりそうです。
それ以上の次元になっちゃうと、
この3次元において『自分』だと認識していたものは
最早『自分』ではなくなっちゃいそうな気配です。
この3次元において『自分』だと信じ込んでいた『自分』は
この世界を見ているひとつのアングルに過ぎなかった
ということになってくるんじゃないかな…と思います。
つまり、
この世界を見るための視点(光を当てる角度)が無限にあって、
『自分』はその『視点』の1つにしか過ぎなかったということになるわけです。
でも『自分』というものがそこでいなくなるというわけではなく、
無限にある『視点』のすべてを含んだものを
今度は『自分』と認識するようになるので
この世のすべての人の意識が1つの『自分』という意識になるのだと思います。
すべての人の意識が1つの意識になるということは
あなたも私もなくなっちゃうわけですが、
それは3次元の視点から見た話であって、
きっと上の次元にいけばそれが普通のことなのでしょう。
で、
あなたも私もなくなっちゃうということは
もしかしたら自分ひとりだけになっちゃうの?
と、ちょっと寂しい気分になってしまいますが、
『自分』という意識がある以上は『自分以外の者』
つまり『他人』というものも必ず存在するはずなので、
結局は一度に処理する情報量が今よりも膨大になるだけで
自分もいれば他人もいるという
今の次元と大して変わらない状況なるはずだと私は思います。
たとえば、
この宇宙のすべての意識を統一して自分は宇宙の意識になった、
などと思った瞬間に、
隣にもその隣にもその隣にも別の宇宙がうじゃうじゃと存在していることに気がついて、
鈴木さんという宇宙がいたり、中村さんという宇宙がいたりして、
結局、どこまでいっても今と変わらないのではないでしょうか?
どれだけ次元が上昇しても、
その次元にいってしまえば今とたいして何も変わらない。
それが、私の次元論です。
長々と書いたわりには
盛り上がりのない結論ですみません…(・・;)