ミュージカル「エリザベート」のエリザベートとトート(死)の愛とは?

エリザベートとトートの愛のイメージ

宝塚や東宝(帝劇)の人気ミュージカルエリザベート」のエリザベートトート(死)の愛についての考察です。

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エリザベートとトートの愛(死)の愛とは?

宝塚のエリザベートのミュージカルでは黄泉の帝王トートの恋物語のような脚色になっているので、エリザベートのミュージカルはエリザベートと黄泉の帝王トートとのラブストーリーというような印象を持ってしまいがちなのですが、本来のトートは黄泉の帝王というよりは「死」を象徴化(擬人化)した存在で、人が「死」に直面したり「死」を渇望したようなときに現れる存在のようです。

死は自由な世界

空の写真

エリザベートを自由を愛していたので、死によってこの窮屈な肉体を抜けだして自由になれると考えるなら、エリザベートは「死」も愛していたはずです。

でもエリザベートは、「死」の向こう側に自由の世界が見えていても、そこへは向かわずにこの不自由な「生」の世界の中で苦難を乗り越えながら自由を追い求め続けます。

参加者の人数分の椅子が用意されていたら椅子取りゲームを楽しむことができないのと同じで、この世がなんの不自由もない世界なら「この世を生きる」というゲームを楽しむことができません。

この世が「不自由」だからこそ「自由」になりたいという夢や欲望が生まれ、夢や欲望があるからこの世を生きることが楽しいのです。

エリザベートは自由を渇望し、「死」を愛していながらも、この「生」の中でに夢や欲望を何ひとつ諦めずに、この世の不自由ごっこのゲームを最後の最後まで一時も休まずに全力でプレイし続けました。

そして最後にようやく自由の世界(死)へ旅立ったという感じなので、本来なら悲しむべき「死」が、劇中のエリザベートの場合はやっとたどりついたゴールのように見えて、愛する「死」に召されておめでとうという晴れやかな気持ちになってしまいます。

せっかくこの世に生を受けたのだから、この世で生きることに全力投球して、たくさんの夢を持って、それを叶えるために苦労や苦難も乗り越えてひたすら頑張ることがすごく大切なんだなと思えました。

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死という愛するべきゴール

エリザベートのイメージ画像

夢を実際に叶えたとしても死ぬときには何一つもっていけないので、夢が「叶う」とか「叶わない」というような結果はどうでもいいことで、大事なのはただひたすら夢を追って生き続けることなんだと思います。

自由、お金、名声、愛情、健康などなど、人によって欲しい物や目指す夢はそれぞれ違うと思いますが、なんでもいいので自分の夢を諦めずに追い求めて、この世界での夢追いゲームに全力投球し続けて、疲れ果ててああ今日も1日よく頑張ったな〜と思って夜バタンキューと眠りにつくような感じで「死」を迎えられたら、エリザベートのような晴れやかで安らかな死を迎えられるのかもしれません。

エリザベートは「死」を愛していたからこそ、自分がいずれ帰るべき場所を知っていたからこそ、運命に翻弄されずに、この「生」の中で自分らしく生きることができたのだと思います。

「死」というゴールがあるからこそ「生」を楽しめる。
いつか「自由」になることができるからこそ、この「不自由」な世界を楽しめる。

死は忌み嫌うべきものではなくて、ほんのつかの間のこの「生」という旅が終わったときに帰っていくやすらぎの世界だと考えたら、この「生」という旅が、それがたとえ苦難に満ちた旅であってもとても貴重な体験ができる楽しい旅のように思えてきます。

せっかくこうして旅に出ているのだから、たくさんいろんな経験をして、この生の世界を充分に満喫して、死の世界へ帰って行きたいですね。

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